素材について 「出西生姜(しゅっさいしょうが)」

出西生姜島根県出雲市斐川町出西地区で採れる出西生姜を原料にしています。中でも、「古生姜」・「古根」と呼ばれる生姜のみを原料として使用。

 

出西生姜がなければ、生姜糖は生まれなかった

來間屋の生姜糖が全国に冠絶しているのは家伝の製法によるものだが出西生姜に負うところも大きい。なぜならふつうの生姜は繊維が多く、取扱いしにくい、どころか生姜特有の昧も匂いも減退するのに反して、出西生姜は繊維が少なく取扱い易い上に独特の甘みと芳香とを失わぬからである。

参考文献:島根民藝録/出雲新風土記 行事の巻・味覚の巻 

 

 

昔ながらの製法

昔ながらの製法 (創業以来300有余年)

生姜糖炭火で生姜の絞り汁と砂糖を溶かし、銅製の型に流し込む、昔から変らぬ製法を今も変らず守りつづけている。煮詰めすぎるとカルメラになり、足りなければ固まらない。火からおろすタイミングは、鍛えられた感覚が頼り。

日本元祖の生姜糖ができるまで

平田(島根県出雲市)の名物として―般の推賞措(お)かぬものは生姜糖である。 生姜糖は栗おこしや煎餅と共に好個の土産品として全国至る所の神社仏閣で売られているが、どこの生姜糖でも生姜独特の風味を活かしたものはおろか、生姜の匂いや昧を備えたものさへほとんどないと云ってよい。さらに生姜の風味を完全に活かしているなどまさに全国一である。

版來間屋文左衛門(くるまやぶんざえもん)は寛文十―年に平田の片原町に生まれ、夙(つと)に詩文に長じまた書を能くしたので壮年の頃松江藩の奉行所に勤務して帯刀さへ許されたが、晩年に至り離職して郷里に帰り専ら茶華の道に心を寄せた。

当時平田の製菓業は甚だ幼稚で、偶々駄菓子を作るものはあってもいわゆる祖悪であり永く貯蔵することもできなかったので、彼は深くこれを遺憾とし、風流珍味の菓子を製作して大いに一般の嗜好に投じようと決意した。

そこで種々考案の結果砂糖に生姜を混じて練り固めれば辛甘相和して高尚かつ耐久力のある菓子ができると考えつき、試作するが、再三失敗して大いに損失を招いた。併し彼はこれに屈することなく更に十数回の実験と失敗を重ねた末に生姜は出西産に優るものはないことを知り、正徳五年遂に初志を貫徹した。

炭火以来製法を秘して一子相伝としたが当時は産額が甚だ少なかった。然るに文化年間に至り下郡の手を経て時の徳川将軍家齊及び藩主に献上したところ、大いに賞賛されたのでようやく世間の人に認められるようになった。

参考文献:島根民藝録/出雲新風土記 行事の巻・味覚の巻

 

昔と変わらぬパッケージ

パッケージなつかしいパッケージ

味と製法を変わらず守りつづけているが、もう一つ変らないものがある。それがこのパッケージ。パッケージも味わい深い逸品です。